z.ohnamiのラフロイグ。

死後の遺影としてのWeb

自分が死ぬことについて考える時間が10年前と比べて徐々に増えていっている気がします。今私は33歳ですが、さらに歳を重ねていくと、自分の死について考える時間はより増えていくのでしょう。そんなときに先週出た情報がこれ。

plan your digital after life

まとめると ・自分が一定の期間、Googleのサービスを利用しなかったらリマインドが来る ・リマインドのタイミングでGoogleに補完されている自分のデータを削除できる ・自分以外のアカウント(家族や友人など)と自分のデータを共有できる

といった機能が提供される模様。ただ、日本のアカウント向けにはまだリリースされていないようです。今生きている私たちの世代はWebの世界が現在進行形で進んでいる真っ只中に立ち会っているのであって、ついにWebサービスは利用者の死について考え出すところにまで来ているのだな、と思いました。

利用者の「そのとき」に対して運営側はどうするのかという方針をWEBサービスでは明示するのが慣例になっていくのかもしれませんね。利用規約に書くだけではなくて、ユーザーがふと気がついたときにヘルプを見たら分かりやすく絵入りのフローで描いてあったり、設定等のオプションで初めから選べるようになっていたり。あるいは、第三者であっても何か関わりがあることを証明出来ればアカウントを貸し出すとか、色々とやり方はありそうです。

私の場合はというと、残っていてほしいものと消えたほうがいいものと両方あります。

このブログもそうですが自分が書いたり作ったりしたものは死んだ後も残っていてほしいですね。たとえ駄文・駄作の類で取るに足らないものであっても。自分が生きていた証になる気がしませんか?ひと昔前までは、死後にその人の言動や写真などがいつまでも残るというのはそれこそ偉人など一部の限られた人たちのみであったわけで。後ろ向きな考えでもなんでもないのですが、ネットというのはそうした存在の証明みたいのも万人に対してオープンにしてくれたのですね。私はお墓に向かって故人のことを偲ぶよりも、その人のネット上にあるライフログを見てあれこれと思い出してあげるほうがよほど供養になるような気もしないでもないです。ということで、日々こうしてライフログでも写真でもなんでもいいから私は書き残しておこうと思います。

一方でメールや通販のアカウントなんかは自分の死後は消えておいてほしいですね。こっちのは消えてしまってもいいかなと思います。

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